院長紹介
Clinic Director
藤田 遼
平成24年 | 松本歯科大学歯学部卒業 松本歯科大学病院臨床研修 |
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平成25年 | 松本歯科大学病院補綴科勤務 |
平成29年 | 松本市とどろき歯科医院勤務 |
令和2年 | 諏訪市池田歯科医院勤務 |
令和3年 | nico歯科 駒ケ根 開業 |
所属学会 | ・日本顎咬合学会 ・日本口腔インプラント学会 ・有床義歯学会 ・顕微鏡歯科学会 ・日本歯周病学会 |
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研修会受講 | ・日本インプラント学会認定講習会.愛知インプラントインスティチュート受講 ・AFD臨床実践3か月コース受講 ・OBIレベル1受講 ・スカンジナビアコンセプトベーシックコース受講 |
私は新潟県長岡市、藤田歯科医院の4代目長男として生まれました。両親と両祖父は歯科医師、叔父、叔母も歯科医師、歯科衛生士、今では姉、いとこも歯科医師となり、とにかく歯科関係者に囲まれたような家で育ちました。
父は物静かな性格で仕事中も家でも寡黙そのもの。その点母はとても良くしゃべる人で、二人で丁度いいバランスを取っているんだと思います。そんな父も、趣味であるプラモデルや釣り、オーディオの話となると、詳しく、分かりやすく説明してくれて、私は父の話を聞くのが好きでした。
父は何かを新しく始めるときは様々な情報を吟味し、調べきった上で実行する、そんな性格です。私も小学生の頃、初めてCDプレイヤーを購入するとなった時には、全ての会社のパンフレットを貰ってきて、他社比較等々かなり調べきった記憶があるので、これは父親譲りなんだと思います。そしてこのこだわりは、現在は歯科器具の選定に活かされています。
幼少期 小学生のころ
自宅と診療室がつながっていた為、診療室や待合室はもっぱら私の遊び場でした。
歯科用のドリルでコマを作って遊んだり、型取りで自分の指の模型を作ったり、ちょうどミニ四駆などプラモデル作りにハマっていた頃は歯科器具を使って作っていました。こうして小さい頃から歯科器材に触って過ごしていました。
祖父が趣味の多い人で、鉄道模型を作ったり、風景写真を自分で撮ってきてその写真を元に、夜な夜な絵を描く人でした。そしてとても甘党な人でもありました。。。私は祖父が絵を描いているのを見るのがとても好きで、また祖父の作る、寝る前のワッフルやパンケーキを貰うのが楽しみでした。もちろんそんな生活ですから虫歯が出来て当然でした。
当然、父にその虫歯の治療をしてもらったのですが、治療のあまりの痛みに背中は汗でびっしょり。今でもその記憶が脳裏にこびりついており、私は軽度ですが歯科恐怖症です。父親としてはこんな痛い思いしたくないなら、しっかり歯を磨け!という思いもあったと思いますが、そんな思いはつゆ知らず、またパンケーキを食べるのでした。。その甲斐あって今でも甘党です(笑)
また、夜間の緊急対応では小さいながら私も手伝ったり、患者さんと直接話すことも多かったため、歯科医院というのは私の生活の中では切っても切り離せない場所でした。ちなみに小学校の卒業文集では、将来なりたい職業は歯科医師と書いていました。しかしこれは両親を喜ばせる目的が裏にあったと思います。
中学 高校のころ
中学生になると勉強もそこそこに部活や友達と遊び呆ける毎日でした。部活は1年生の時は柔道、2・3年生はバスケットボールと、小さい頃から何か一つを続けることが出来ず、飽き性な性格でした。勉強に関しても授業のみの勉強だけで、テスト前であろうと家で勉強をするような事はありませんでした。それでも学年では平均点は取れていたので、そこまで勉強に関して焦ることは無かったのですが、進学校の高校に通うコツコツと努力のできる姉にはコンプレックスを感じていました。
高校では、新しい環境で再度勉学に励もうと決意し入学。しかしやはり勉強習慣は付かず、相変わらず友人たちと遊ぶ毎日、ズルズルと学力は低下していきました。兎に角辛い事から逃げていました。
そしてあっという間に3年生、さぁどういった進路を選ぶかと考えた時、幼少期から家族全員で楽しみにしていた父親のオーディオルームのホームシアターでの映画鑑賞を思い出しました。当時は音響技術が日進月歩に進化しており、父親が新しいサラウンド環境を作る度に感動していました。そんな経験から、映画館やコンサートホールの音響環境を設計する音響設計士になりたいと思いました。がしかし、その音響設計士の情報を調べている矢先、ここまで勉強の事や進路の事に一切口を出さなかった父が「歯科医師になってほしい」と私に言ってきました。私の姉がこの時既に東京の歯科大学に進学しており、実家は姉が継ぐものだと思っており、歯科医院の長男だとか医院を継承しなきゃというプレッシャーから逃れられたと思っていたのに・・・。前述した通り寡黙で普段無口の父に頼まれた私はかなり動揺していました。ここまでの人生で一切勉強をしてこなかったのに後1年で歯科大学に入れるようになれるのか!?ただ、そんな父の言葉を無視することもできず、とりあえず歯科大学を受験しました。
しかし、結果から言えば入れるわけがありませんでした。結局またズルズルと大した努力もせず、親に迷惑を欠けながら2年間東京で浪人をし、やっとなんとか歯科大学に滑り込みました。
大学のころ
大学時代はとにかく人に恵まれました。この経験から、後に「環境が人を作る」という人生観に行きつきました。
入学当時の私はダメダメな浪人生活を終えて、体重も人生で最高の88kgを記録していました。高校の時のリベンジで再度自分を変えたい!と思った私は、ダイエット目的で水泳部に入部しました。
ただ、この水泳部の選択が無ければ今の私は無かったと思いますし、歯科医師になっていたかどうかも分かりません。
ダイエット目的で入った水泳部でしたが、気がつけば体重は25㎏減り、いつのまにか水泳の実力もついてきて、部活のキャプテンを任せられ、大会でも入賞出来るように・・・努力をしていると周りが勝手に評価してくれる。そんな経験は今までの人生で無かったので、これが結果がついてくるということか!と思いました。
勉強に関しては浪人をしていたとはいえ未だ勉強の習慣はついておらず、1年生の時は下から数えたほうが早い位の成績でまた過去のようにズルズルと落ちていくかと思いました。
ただ、2年生からは友人たちに恵まれ、テストの前となれば皆で勉強し、分からない所は友達に教えて貰ったり。また当時より付き合っていた彼女(美千代先生)が学年で1
.2を争う学力で私も彼女に負けたくない一心で勉強に励みました。週末は美千代先生とカフェで5時間、帰ってきて5時間勉強。そんなデート(?)を続けていると急に学力も上がってきて、学年順位も一桁に。そのまま歯科医師国家試験も無事合格することができました。
大学生活は部活と勉強ばかりで、それ以外の事はしてなかったように思えますが、部活や勉強を共にした仲間達との思い出は一生の思い出となっています。
勤務医時代
卒後の進路は、憧れの先生のいた大学の補綴科(被せものや入れ歯を専門とするところ)に入局を決めました。
その先生の治療は非常に丁寧で、仮歯一つとっても天然の歯同様の形をしていたのを覚えています。そんな先生の指導の元で、日々研鑽を積んでいました。
私は入れ歯(特に総入れ歯)の仕事が好きで、多くの入れ歯の患者さんを診てきました。
痛い、外れてしまう、噛みにくい等の問題を抱えた患者さんと、原因を探りながら一緒に正解を見つけ、調整する。すると患者さんは笑って帰っていってくれます。そんな風に、自分の仕事の結果がすぐに患者さんの笑顔に繋がることが、やり甲斐を感じられ、この仕事が好きだなぁと思わせてくれる一因です。
卒後5年が経過し、将来的に開院したい気持ちが強かった私は大学病院を退職し、当時美千代先生が勤めていた歯科医院に就職しました。
その医院は地域に根ざした歯科医院そのものといった感じで、患者さん、スタッフ、院長先生全員が笑って仕事をしていました。ここで私と美千代先生のやりたい歯科医院像が出来上がったと確信しています。
そしてさらに技術の研鑽を積むため、県を代表する医院になるというスローガンを掲げている歯科医院でも勤務させてもらいました。ここでは、スタッフ全員が診療の力を高め合い、本物の予防、患者さん一人ひとりに合わせた治療方針という事を実践しており、ここでの経験が当院の診療における核となっています。
それぞれの医院での経験が、私の歯科医師人生においてかけがえのないものとなっています。
開業にむけて
勤務医として様々な患者さんを診てきて、一つの思いに辿り着きました。
それは、ここまで悪くする一歩手前で治療介入できていたら、、、もっと言えば、更に初期の段階で情報だけでも知っていて貰えていたら、この患者さんの口の中はもっと健康でいられたかもしれない、、、という思いです。
骨や皮膚は多少怪我をしても治りますが、歯だけは再生はしません。私達の治療においても完治はしません。義足義手と同じように歯を治した部位もまた部分的に材料で補っているだけであり、一生持つという保証もありません。
そんなことから、「治す歯科医院から守る歯科医院」を目指したい!!と思い開業を決意しました。
もっともっと皆さんに自分の口の中に興味を持ってもらえるにはどうしたらいいのか、色々な情報を発信していくためにはどうしたらいいのか、生涯健康な自分の歯で食事をするために今私たちができることは何か、を真剣に考え、予防を実践していきたいと思っています。
また、治療になってしまった場合も、最小限のダメージで治療できるよう、患者さん一人ひとりと一緒に最善のゴールを目指していけるような医院にしていきたいと思っています。
皆さんに伝えたい想いが多すぎて、長文となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
患者さんと共に歩み、成長していけるような医院を目指していきたいと思っていますので、ぜひ皆さんのお話も聞かせていただけたら嬉しいです。