院長紹介
Clinic Director
藤田 美千代
平成18年 | 長野県伊那北高校理数科卒業 |
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平成24年 | 松本歯科大学歯学部卒業 松本歯科大学病院臨床研修 長野県南信地区歯科医院複数件勤務 松本市とどろき歯科医院勤務 |
令和3年 | nico歯科 駒ケ根 開業 |
幼少期 小学生のころ
ここ駒ヶ根市の父が薬剤師として勤務していた総合病院にて、3人兄弟の末っ子として産まれました。
3人目ともなると多少うるさくても寝ていられるようになるのか、姉の練習しているピアノの足元で勝手に寝ていたりと、たくましく育ちました。(今でも基本的にどこでも寝られるのはこの頃のおかげかもしれません。)
小学生の頃、薬剤師である母が薬局を開業し、仕事が忙しくなったことにより、私も学校が終わると家ではなく薬局に帰り仕事が終わるまで待っていたり、家で兄と留守番していることが増えました。
でも寂しいとは感じたことはなく、むしろバリバリ働く両親を誇りに思っていました。
しかし子供だけでの留守番ですから、お菓子は食べ放題!!何度も虫歯を作っては歯医者さんに通った記憶があります。
これによって歯医者さんのあのキーンという音が大嫌いになりました。
そんな薬剤師である両親の影響からか、この頃からあたりまえのように医療系の仕事を目指していました。
保育園の年少さんの時の将来の夢はお医者さん。そして小学校の卒業文集の将来の夢にも医師と書いた記憶があります。
教育に熱心だった母のおかげで、小学校のころから勉強は得意で、特に算数が好きだった私は、そのまま医師を目指して人生を歩んでいくことになります。
中学 高校のころ
中学校に入学してからは、部活と委員会にのめり込み、毎日テニスと放送委員のことばかり考えていました。
勉強はテスト前に一夜漬けならぬ一週間漬けでまとめて詰め込むタイプで、なんとか乗り切っていました。
ただ、この頃の放送委員長という役職を真面目にやり切ったおかげで、仕事の原点である、一生懸命やった先の楽しさや、責任感を学んだ気がします。
特に中学3年生の頃は放送室に入り浸り、毎日が楽しくてしょうがなかった記憶があります。
高校は進学校の理数科に進学し、順調に医師への道を突き進んでいたわけですが、高校では中学の頃のような勉強法は通用せず、高校の3年間でどんどんと成績が落ちていきました。
それでも医師への道が諦めきれず、無謀だとわかりながらも医学部を受験。散々な結果となりようやく諦めることとなります。
自分でも医学部は無理だと内心気づいていたため、兄が通っていた歯学部も受験し、見事合格。
しかし、あの大嫌いなキーンという音と共に一生働かなければならないのか、、、と素直に喜べない自分もいました。
大学のころ
大学では兄からの紹介という理由だけで、それまで大してやってきてもいない水泳部に入部。
飛び込みもできない状態から、生ぬるいサークル活動とは違い、だいぶガチな部活で真剣に水泳に打ち込むことになりました。(おかげで、後の人生のパートナーとなる遼先生と出会うことができたのですが、、、)
もちろん勉強も半端なく大変な毎日で、想像していたキャンパスライフとはだいぶかけ離れた生活でした。
しかし、もともと医師を目指していたこともあり勉強の内容は好きな分野が多く、また負けず嫌いな性格もあり、国家試験は自己採点で全国3位という成績で合格することができました。
勤務医時代
国家試験に合格し、さあ働くぞ!というところにきて、私はまさかの燃え尽き症候群になってしまっていました。
そもそも歯科医師になってどうしたいかという具体的な夢がなかったため、大学6年間を国家試験合格の為に過ごしてしまい、その後のビジョンが全く見えていなかったんだと思います。
暫くはそんなダラダラした気持ちで働いていました。
そんな私を変えてくれたのが、勤務医時代お世話になった歯科医院と院長先生でした。
その医院に初めて見学に行った日のことは今でも覚えています。医院のスタッフ全員が活き活きと楽しそうに働いていたんです。その当時の私には、そのスタッフさん達がとても眩しく、羨ましく見えました。
そして、この医院で働きたい!と思い、眩しい世界に飛び込んでいきました。
楽しく働いているとはいえ忙しく大変な職場でしたので、ついていけるか不安はありました。が、この選択は大正解!この医院での出会い、そしてセミナーで知り合った全国の仲間達との出会いによって私の歯科医師人生は180度変わり、いつか私もこんな素敵な医院を開業したい!という夢に向かって突き進み始めました。
開業にむけて
勤務医として働きながら、結婚、妊娠、出産を迎え、育児をしながら開業準備を始めていくことに。
自分が育児をするようになって、いかに子供を医院と名の付く場所に連れていくことが大変か。それどころか、いかに毎日の仕上げ磨きに苦労するか。そして、どこにいくにも待合などで子供を待たせておくことがこんなに大変なんて…。自分のことも後回しで、子連れで自分の歯医者になんて行ってられない!そんなことを思い知りました。
そこで、ママ目線の医院を作りたい!と思うようになりました。
私自身、小さい頃からあの歯科医院のキーンという音や怖い雰囲気が嫌いだったこともあり、歯科医院のイメージをできるだけ楽しいイメージにしたら子供も通い易くなり、結果的にママさん達がラクになる!と考えました。
子供が自分から行きたい!と言ってくれる歯科医院。
子供が自分の口に興味を持って、将来困らない知識を身につけられる歯科医院。
妊娠期や赤ちゃんの頃から通って生涯歯のストレスフリーになれるような歯科医院。
子連れでも気軽に行けて、ママのストレス発散になるような歯科医院。
そんな子供たちとママさん達をサポートしていけるような医院が作れたら最高だなと思っています。
開業してからも、患者さんの声を聞き、常に成長していけるような歯科医院でありたいと思っていますので、どんどん皆さんの要望も教えていただけたら嬉しいです。
是非、歯科医師としてだけでなく、ママ友と話しに来る感覚で皆さんと沢山お話できたらと思っています。
長文となりましたが、少しでも私のことを知っていただけたでしょうか?
もっともっと知っていただきたいので、是非お話しましょう!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。